終わりが定まっているから仕事になる。(高橋秀実さん)10,441円
日本経済新聞『文化』に『定年のない文筆系自営業者』として登場、一般に言う『定年』は文筆業者の『〆切』に近いと考察。「原稿は直そうと思えばいつまでも直せる。生きているのだから直す余地は常に生じており、直すことはそれこそキリがない」と自らの感覚に準えた。どうだろう?私の場合は直せる技量と気力が無いし、業務内容は継続性も乏しい。
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コメント
その昔は人生50年と言われていましたが、とっくに過ぎてしまいました。それどころかあと数年で定年の年齢になっているというのに、未だにアルバイトのような生活をしています。もちろん年金は当てに出来ません。年収は十年前の半分以下に落ち込み、職場で、自分の子供のような年齢の上司に、とりあえず敬語を使っています。人生何が起こるかわかりませんが、このような展開は想定外でした。人生の〆切りは刻々と近づき、精神面は青臭いままに、肉体は老齢化し、日々、ひいこら言っています。人生の締めくくりどころか、まだスタートしていない感じです。いくつになっても、遊びたいです。
投稿: 木下藤吉楼ホモ・ナレディ | 2017年5月15日 (月) 06時31分
何をもって終わりとするか、よくわかりません。自分の中では終了案件でも周囲の認識では継続中だったり、ワタシ的には終わらせたつもりはないのに「もう済んだこと」っていわれたり、どう転んでもストレスです。遊びたいです。
終わりのことなんか、まったく視界に入っておらず、入れる必要もなく、本当にこれからがスタートの井桁弘恵さん。
素晴らしい容姿で2013ミス・ティーン・ジャパンにて、サマンサタバサ賞を受賞したらしいですが、どこまで見た目だけでやっていけるでしょう。微笑んでいるだけで仕事=オカネになるんなら、終わりもクソもないでしょうが、そこはストレスフルな「営業」がついてまわるんでしょうね。それはそれでイヤですね。
井桁さんにおかれましては、自分の人権を守れないような営業を強いられた時には、仕事を干されることを恐れず、断固反対しつつ、末永くご活躍いただきたいと思います。
投稿: 徳川yeah!康 | 2017年5月15日 (月) 08時24分
木下藤吉楼ホモ・ナレディさんの『ホモ・ナレディ』をググるとホモ・ナレディのwikipediaがトップに踊り出てきます。当然のようにクリックしそうになる一連の流れに抗ってその下の項目をクリックするとNATIONAL GEOGRAPHIC日本版に誘導され「あれ?これあの人じゃん」という感じの写真がドーンときて「南アフリカ・ヨハネスブルク郊外の洞窟でヒト属(ホモ属)の新種が発見され、ホモ・ナレディ(Homo naledi)と名付けられた。頭が小さく、部分ごとに原始的な特徴と現代的な特徴をあわせもつ」と読者の知的水準に配慮したような解説がされていました。私は昨日も競馬で負けました。遊んだと思って切り替えることが困難なくらい痛々しい負け方でした。
投稿: 鑑定士 阿部 | 2017年5月15日 (月) 23時22分
徳川yeah!康さんの仕事観には大人の恋愛事情を読み解くヒントがありそうです。今回のコメントをそのままなぞってみます。
「何をもって終わりとするか、よくわかりません」
「自分の中では終了案件でも周囲の認識では継続中」
「終わらせたつもりはないのに『もう済んだこと』っていわれたりする」。
どうでしょう?もっとうまく遊ぶ方法がありそうですよね?
井桁弘恵さんは修猷館高校出身とwikipediaに記されています。並べるような情報がまだ乏しいからなのでしょうが、修猷館高校って言えば藩校ルーツのとてつもない歴史のある伝統校ですから存在感が際立ってしまいます。代ゼミやら何やらの大学受験模擬試験を受ける連中であれば修猷館高校と書けなくても読める人が大半です。サマンサタバサをうっかりサマンサダバサとかセザンヌタバサとかサマンサダバダと覚えているようなファッションとは程遠い優秀な連中にはお馴染みの校名なのです。
高校時代の部活情報ぐらい誰か何とかしろよ、と思いつつ井桁弘恵さんの課題クリアです。次の課題も『井』つながりで井頭愛海さんです。
投稿: 鑑定士 阿部 | 2017年5月16日 (火) 00時05分